ボンジュール Paris
                   フランス紀行   2005,8,9〜8,16                          岡山市立甲浦小学校 服部 誠
 ワンウィークトラベラーとしての手記であり,パリに派遣された先生の記録,思いとはかなり異なることを先に述べておく。
 私としては3度目のヨーロッパ。パリはなんと24年ぶりである。(学生の時3泊ほどした記憶がある。)今回は妻の両親のたっての希望により実現した。芸術家肌の義母は,かなり前からパリ旅行を夢見ていて,年齢,体力面からラストチャンスと思い,思い切って4人でパリへ。チケットを取り,ホテルを予約し,観光計画をたて,・・・。つまりすべての手配をわたしたちがした完全な個人旅行である。(義母の体調を考えるとツアーは無理である。)
 8月9日 岡山空港からソウルへ。2時間待って一路パリへ。(ヨーロッパへはこのパターンがお勧めである。関西国際空港から飛び立つよりずっと楽である。コリアン航空はなかなかいい。ビビンバやおかゆの機内食もGoodである。 ソウルの空港は新しく快適。)ソウルからパリまで11時間。2回の映画(日本語の字幕つき)でなんとか時間をつぶすことができた。 夕方着。オペラ座近くのホテルへ。狭いが地理的に便利この上ない。ホテル近辺を散策。なんと涼しいこと。超がつく汗っかきの私が汗をかかない。乾燥が激しい。洗濯物がすぐ乾く。
 8月10日 パリの歴史を映画で観光客相手に教えるパリストーリーへ。映像で「パリは世界でNo1の都市」であることをアピールしている。このあたりがフランスらしい(?)確かにすばらしく美しい町,伝統を感じる町であることは確かである。

エッフェル塔にて
 市内の半日バスツアー。町中彫刻だらけ。街角になにげなくすごい彫刻がある。閉まっている店がものすごく多い。こんなに観光客が多いのに。バカンス真っ直中。世界中から観光客が集まるこの時期に商売しないとは。日本なら(アジアなら?)金儲けに走る。こんないい季節にバカンスに行かないなんて,なんのた       めの人生,なんのための仕事・・・という発想であろうか。精神的にはとにかく豊かである。(このあたりはパリ在住の人に聞いてみたい)8種類ぐらいの言語でのガイドがある。しっかり日本語は入っている。アジアの言語では日本語だけ。数年後には中国語に変わってしまうのか・・・?と,ふと心配になる。そういえば,一昨年スコットランドを旅したときも,ある観光地で数種類の言語テープの中で日本語があり,少し誇りに思ったことを思いだした。
 8月11日 地下鉄に乗って世界に誇るルーブル美術館へ。すごい人である。げっぷがでるほど絵を見た。教科書,ポスター等で見たことのある絵がたくさんあった。名前などいちいち覚えていない。天井までこれでもかと絵が掲げられている。「モナリザの微笑み」の人気は別格である。ミロのビーナスの後ろ姿を写真に納めた。見たことがないでしょう,みなさん。(実は24年前にも同じ写真を撮った。)2時間ほど予定していたが,4時間かかっていた。それも3分の1ほどをざっと見てである。
 義父は足が疲れやすいため,「フットマッサージ」を希望した。町中探したが無い。1週間1軒も見つけられなかった。        
ミロのビーナスの後ろ姿
地元の人に聞いてみると「疲れるほど働かない。疲れそうになったらすぐリフレッシュする。だからその手のマッサージとか,サウナとか必要ない。」と。本当かどうか分からないし,探し方が悪かったのかもしれないが,その通りのような気がする。労働力が余っているようなので,マッサージの技術を覚えて観光客相手に商売すればかなり・・・・と思ったりした。
 ずっとカフェで食事をとっていたが,あまりに高く,今ひとつ・・・・・なので,ホテルで湯をもらいカップラーメンを食べた。無性にうまい。日本のカップラーメンは文句なく世界1だと断言する。
 一昨年もイギリスで感じたが,ヨーロッパでは円が弱いのである。日本での新聞のレートより実際はもっと弱い。それに19.6%も消費税がかかるのでかなりの割高感がある。1回の食事(4人)でたいしたものは食べていなくてもすぐ1万円超える。(食事や買い物はやはりアジアがいい。)
  8月12日 バスでベルサイユ宮殿へ。 豊かなフランスを感じざるを得ない。贅沢の限りである。ギロチンにあったマリー・アントワネットに同情する気になれないのは私だけではないであろう。しかし見事な文化遺産である。問題はトイレ。当時も宮殿内にはトイレが無かったというのは有名な話であるが,今も無い。今は庭に造ってあるが,観光客の割には極めて,信じられないぐらい少ない。ずっと長蛇の列である。集合時間前にちょっとトイレにというわけにはいかない。なぜもっと造らないのか???誰かに聞いてみたい。真剣に困っている人がいた。        
 旅先ではどこに行ってもトイレには気を遣う。   ベルサイユ宮殿の庭園
アジア通の私は(ちょっと自慢)どんなトイレにもびくともしない。(妻も)アジアのトイレはとにかく汚い。欧米人とはトイレに対する考え方の違いである。そういえば,オーストラリアやニュージーランドはどこに行ってもトイレがきれいだった。
 フランスはトイレが少ないと思う。はっきりと比較ができない,ただの思いではあるが。
昼過ぎから凱旋門へ。やや年寄りに見えた両親をみた係員が特別にエレベーターに乗せてくれた。これはラッキー。かなりの高さの階段を上らずにすんだ。凱旋門の上からの景色は見事。四方八方の道が凱旋門を中心にできている。まさにフランスの中心,世界の中心という発想か。
有名なシャンゼリゼ通りを歩く。立派な都市計画で生まれた見事な通りである。人はあふれるほどいる。カフェが建ち並ぶ。休憩で寄ったカフェでビールを。なんと中ジョッキ1500円ほどした。まあ,銀座で飲んだと思えば・・・。こんなものか??でも高い。
 地下鉄でホテルへ。ここで事件が。やや慣れてきて気がぬけたのか,スリにあった。
最初は私のズボンの後ろポケットのボタンへ誰かの指がひっかかった。はっと気がついて手で押さえ,財布を確認,ほっとして振り返ると16,17歳の女の子がプイと向こうをむいた。まさか??と思っていたら義父の胸に抱えていた荷物が一つ落ちた。(落とされた。)拾っているうちにさっと義父の後ろポケットから財布がすられた。誰かが叫んでくれたがなんのことかわからず,一瞬呆然。「財布ある??」と聞くと「あ,無い!」時は遅く地下鉄のドアがしまりスリ軍団は外へ。どうしようもなく,ホテルへ帰り警察へ。よくある話と聞いていたが本当の話。くれぐれも後ろポケットに財布を入れぬよう。ボタンやチャックがあってもだめであることがはっきりした。(授業料数万円)
8月13日 地下鉄を3回乗り継いでモンマルトルへ。映画や絵画で有名な場所である。そびえ立つサクレ・クール聖堂。石階段を避け,トロッコ電車で上る。聖堂の階段では大勢の観光客がパリの景色を楽しんでいる。白亜のドーム型の見事な教会である。パリの町のいたるところからみることができた。広場には多くの画家(の卵?)がいた。実際には商売している。何人もの画家に絵を買ってくれと声をかけられた。日本人の画家もいた。なかなか個性がある絵が多く,少し財布が動きかけたが。    また地下鉄を乗り継いでノートルダム大聖堂へ。フランスの中世文化の美しい結晶といわれる。ナポレオンが戴冠式を行った場所。
路上パフォーマンス

壮大な,美しい建物である。豊かな精神文明を感じる。中では 黄金の像になった人(生きています)ミサをしていた。私どもは異教徒なのでどうかと思ったが,じっくり見せてもらえた。
それにしてもすごい数の観光客である。広場が人で埋まっていた。
 ホテルで休憩した後,セーヌ川ナイトクルーズ&イルミネーションツアーに参加。だいたい町の中は把握できていたので,説明を聞きながら船から確認するといった感じであった。観光客でいっぱいのクルージングの船が何艘も行き交う。世界の観光都市であることを何度も思い知らされる。 見るところがいっぱいある。日本では考えにくい。9時ジャストにエッフェル塔がキラキラ輝きだした。見事な美しさ。拍手が起こる。バスに乗り換えて町をぐるぐる。もう充分というほど回ってくれた。ライトアップされた美しい夜景が続く。ルーブル美術館,オルセー美術館,オペラガルニエ,エッフェル塔,市庁舎,ノートルダム寺院・・・。オペラ座で下車し,ホテルへ。 充実していたがかなり疲れた1日であった。
 8月14日 パリはもう充分ということで,とりあえず駅へ。どこへ行こうか悩んだ末,モネの名作「睡蓮」の情景がそのまま残る庭園のあるジヴェルニーを目指す。日本のJRとはいろいろ異なるため(乗り方,切符の買い方等)けっこう苦労した。何度もインフォメーションで聞いて,確かめた。本数が少なく下手をするとパリに戻ってこれなくなってしまうことも予想された。チケットは立派なもの,航空券と同じ感じ。2等のチケットで2等の電車に乗って座っていたら,様子がおかしい。自由席と指定席が混在していて,指定席はカードが入れてある。下車して駅からでるまでチケットを見せる機会がなかった。ただ乗りができるのか,と思った。実は乗る前にチケットを自分で機械に通さなければいけなかったのだが,その機械も目立つところになく,特に通す雰囲気もなかったため,素通りしていたのだ。運の悪い?日本人の女の子が機械に通していなくて,チェックにきた車掌に叱られたそうだ。
 電車で5分もするとパリから出る。そこはもう田舎そのもの。平原が広がり,住宅がゆったりと存在する。かわいいというか,品のいい家が多い。
 電車から降りるとバスへ。15分ほどでモネの町に着く。モネの家は完全に観光地になっていて,大勢集まっていた。家に入るのに約30分並んだ。帰りの電車が心配で,一時諦めかけた。家の中には彼が集めた膨大な量の浮世絵がたくさんかけてあった。これにはびっくり。「睡蓮」の生まれた池を見学。こんなものかという感じ。悪くはないが。
 あわててバスに乗り,駅へ。パリに戻る最後の電車に乗る。最後の夜はビストロに入り,フランス料理のコースを。(レストランより安い)大きな豚足が出た。赤ワインを1本飲み干した。
  モネの庭園
 8月15日 荷物を整理し,最後の買い物へ。なんと祝日でデパートが休み。三越だけ開いていた。町中ほとんどの店が閉まっている。ルーブルの近くの土産物屋へ。昼は初めて日本食レストランへ。カツ丼がおいしかった。夕方5時頃までぶらぶらしてホテルへ。6時半にピックアップしてもらい,シャルルドゴール空港へ。パリの旅もこれにて終わる。
 パリ在住の人,またフランス人から見れば,独断と偏見の紀行であると思われそうだが,これも一つのパリである。まぎれもなく。